2005年11月08日

戦国時代英雄伝(3)

山本勘助




みなさんこんにちはヽ(^o^)丿

昨日に引き続き、戦国時代の英雄を紹介します。

2007年(平成19年)の大河ドラマは「風林火山」です。

さて主人公は誰でしょうか?



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山本勘助(やまもと かんすけ)


山本勘助は、武田信玄に仕えた名軍師でした。

目が片方不自由で、足も悪かった勘助は、長く苦しい不遇の歳月 を過ごしてきました。

50歳をすぎて、武田信玄に出会ってから、後半生に花を咲かせました。

信玄にとってもかけがえのない名軍師でした。



戸石城の戦い

北信濃(長野県の北部)の大名の村上義清(むらかみ よしきよ) との戸石城(といしじょう)での戦いは、勘助の力を見事に周囲に 知らしめる戦いでした。

村上軍に挟み撃ちにされた武田軍は、ほぼ壊滅状態になりました。

そこに、50騎の精鋭を預かった勘助が、敵の正面に躍り出て、 自分に注意を向けさせました。

村上軍は、乱れました。

そこへ、信玄が追撃をかけて逆転勝利を収めました。



川中島の戦い



川中島の戦いで有名になった「啄木鳥戦法」(きつつきせんぽう)は 勘助の発案です。



勘助は、妻女山(さいじょさん)に立てこもった上杉軍をおびき出すために、挟み撃ちを信玄に勧めました。

その結果は以前の記事にも書きましたが、上杉謙信に見破られて苦戦を強いられてしまいます。

その責任を感じた勘助は、乱戦の中に飛び込んで命を落としました。



自分からみた勘助



勘助の事は、知っていましたが、不思議に思っていたことがありました。

武田信玄の上洛の辺りには勘助がいないのです。

長篠の戦いはもちろんのこと、徳川家康との三方ヶ原の戦いにも勘助の姿は ありませんでした。

後で知ったのですが、川中島の戦いで啄木鳥戦法が破れた責任を取って 戦死していたのです。

この気持ちは素晴らしいと思いますが、勘助には生きていて欲しかったです。

勘助の存在は、本当に大きかったです。

歴史では、もしもこうなっていればという表現が多いですが、勘助が生きていたら武田信玄が天下を取っていた可能性も高いと自分は思います。

武田家滅亡の要因となった、長篠の戦いでも多くの武田家の有名な武将達が命を落としました。

信玄が亡くなった後、息子の勝頼が後を継いで、この戦いに自信を持って挑みました。

しかし、信玄の時から仕えている、有名な武将達はこの戦いに反対しました。

しかし、その意見を勝頼は全く聞かずに戦いは行われました。

織田と徳川の鉄砲が火を噴く中に、果敢に突撃をして散っていった勇猛な武田家の武将達。

信玄と勘助が生きていたら、無謀な戦いは避けていたのではと思います。

ですから、勘助には生きていて欲しかったのが自分の想いです。

歴史は、終わった後に検証できるのでとても参考になりますね。

みなさんの日頃の生活の中に、少しでもお役に立てれば幸いです。

山本勘助


takimasa888 at 06:32│Comments(13)TrackBack(0) 時事ネタ | 歴史

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この記事へのコメント

1. Posted by コウダ エイジ   2005年11月08日 10:55
5 ロイズの甲田英司です
コメントありがとうございます
歴史の武将達の記事・参考になります
これからも続けてください

2. Posted by 90日で億万長者   2005年11月08日 11:57
こんにちは!シュウです

温故知新、歴史の授業を暗記物として学ぶのではなく、いかに自分の生活に活かすかという視点で学んだら本当におもしろいですね
3. Posted by 衣   2005年11月08日 21:47
今晩は。
昔で、50歳って長生きですよね。
そこからさらに、人のかけがえのない
存在になれるなんて人ってどうなるか判らない
ものなんですね〜。
4. Posted by nomoto   2005年11月08日 22:55
遅咲きの人が活躍する話が大好きです。

今がどんなに不遇でも、いつ何時日の目を
みるかわからない。

こんな話を聴くと諦めちゃダメだって思います。
5. Posted by 日本の中心で愛を叫ぶ!   2005年11月08日 23:58
5 再来年の大河ドラマの事がもう決まっているのですね!流石です・・・

歴史が私たちに教えてくれる事は非常に多いと思います、今まで見捨ててきた事を改めて大切と気づかせて頂ける・たきまささんはとても素敵な方だと思います♪

これからも沢山教えてください!

ぽちっとな♪


asid:森 宏元
6. Posted by ムラオカ・ユウジ 夢をカタチに   2005年11月09日 01:32
こんばんは^^

歴史の中にはまだまだ自分の知らない生き方、
考え方、ものの見方が存在します。

たきまささんの解説に触れ、気づくことも
多々あります。いつもありがとうございます。


7. Posted by たきまさ   2005年11月09日 04:53
>甲田社長さん

こちらこそありがとうございますm(__)m
とても励みになります。
今後も続けていきますのでよろしくお願いします(^O^)
8. Posted by たきまさ   2005年11月09日 04:58
>シュウさん

いつもありがとうございます。
本当におしゃる通りです。
暗記ではなくて、生活に活かす事を視点にしたら、かなり参考になると思います。
歴史の表舞台には出てこない人達の中にもたくさんの、名場面があると思いますが、今の時代に残る話しを基に書いていきますのでよろしくお願いします。
m(__)m
9. Posted by たきまさ   2005年11月09日 05:02
>衣さん

おはようございます(^O^)
当時は人生50年と言われてましたから、そうですね。
そこから変化させた、勘助の才能でもあるし信玄の人を見る目の良さが、開花させたんだと思います。
何が起こるかわかりませんね。

10. Posted by たきまさ   2005年11月09日 05:07
>nomotoさん

勘助はかなり遅咲きでしたね。
信玄に出会っていなければ、一生名が残らなかった可能性は大きいです。
一生懸命に仕えた彼の姿に、心を打たれますね。
自分も何事にも最後まで諦めずに、ハッピーエンドで終われるように生きていこうと思います。(^O^)
11. Posted by たきまさ   2005年11月09日 05:12
>森さん

そうなんです。
自分も驚きました。
タイトルは「風林火山」です。
ありがとうございます。
少しでも、多くの人に歴史上の人物の生き方等を伝わるように書いていきますので、今後もよろしくお願いします。m(__)m
ポッチとありがとうございます(^O^)
12. Posted by たきまさ   2005年11月09日 05:15
>ムラオカさん

おはようございます。
こちらこそいつもありがとうございます。
とても励みになっております。
今の世の中が少しでも、歴史を踏まえた上で更に発展していけば嬉しいなと感じます。(^O^)
13. Posted by Mr.T   2005年11月10日 03:49
いつも有難うございます。

長篠の戦の話で思いついたのが…もし武田軍が惨敗していなければ、また、真田昌幸の二人の兄が戦死していなければ、昌幸の次男である幸村の歴史に名を残す活躍もなかったかもしれない、または、違った形になったに違いない、ということでした。

ひとつひとつの出来事がいろいろな形で作用しあって、さまざまな結果として形に出てくるわけですね。


以前も感じたことですが、たきまささんのブログはこういったことを気付かせてくれるので、素晴らしいと思います。

今後もいい記事をアップし続けてください。

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